機動戦士ガンダムUC -虹の彼方に(下)-

虹の彼方に(下) 機動戦士ガンダムUC(10) (角川文庫)

――私たちの中に眠る、可能性という名の神を信じて――。




第一巻を読んだのが去年の7月だから、全十巻制覇まで約1年の日付を要してしまった。
ともあれ、ついにガンダムUC完走。
俺はてっきり某カーメンのように、ラプラスの箱の中身については濁されるとばかり思ってたよ。
しかし、ついに開かれた。
その中身については──ある程度予想していた部分もあり、やや裏切られた模様もあり。
ただ、全てを知ったバナージが

    「たった……それだけのこと……?」

と洩らしていたあたり、第一印象として読者が抱く感想を代弁してくれていたんでしょう。
中身にどんな意味があれど、それを巡って争いが起き、血が流れ、人が死んだ――その事実だけで、やはり呪いの箱と呼べるだろう。
しかしバナージは、そしてミネバは叫ぶ。
“それ”の始まりは、すなわち善意なのだと。人の善意から生まれた祈りなのだと。
たしかに人は変わろうとした。
宇宙という無限の荒野へ踏み出すときを境に、自ら変わろうという意志をもって。
その愚かに過ぎる祈りと願いの具現、それこそがラプラスの箱――。


まぁそんなこんな。
そうして失われてしまった“あるべき未来”を、可能性の獣は求める。
ってかニュータイプの地平、こりゃいったいどういうことだー!?
人が見る究極の思惟、人の進化の終着点。
人が人たる肉の縛りを捨て、完全な存在に、“神”になってしまったとでもいうのかね?
それもまた、あるかもしれない可能性?


んで。
晴れて『箱』の中身は詳らかにされ、ラプラス抗争自体は終わった。
けど、物語が一つ終わって完結するようなモノじゃないのがガンダムの面白いところ。
どれだけ盛り上がっても、あくまで大局の中の1エピソード。
UCが終われば、閃ハサ、F91、やがていつかは∀へ。
世界がひっくり返っても覆っても、やはりこの後も、宇宙世紀は続いていく。


こりゃ早く閃光のハサウェイを読み直さないといかんなー。