血液内科

実家からのメールで、じいちゃんの余命が三ヶ月と申告されたことを知った。
知った瞬間、「え!?」という驚きと「いよいよか……」という諦めが同時に襲いかかってきたように思う。
医者によると、体内の血液量が著しく減少していて、白血病の一歩手前みたいな状態らしい。
そのへん詳しくないので何とも言えんけど、要するに“血の癌”と考えればいいとか。
ただ、本人に痛みなどの自覚はないらしく、それだけは救いと言えるかもしれない。
けれども余命は三ヶ月。
齢八十を越えた身では、どうやら助かる見込みはないらしい。



……なのに俺は、自分があまり悲しんでいるような気がしない。
生まれてから二十五年、何度も会って何度も話した人のことなのに。
涙が出ないのは元より、それどころか、死んだ後のことすら考えたりしている。
これっておかしくね?
そういえば以前、友人が死んだときもそうだった。
悲しみ悼む気持ちはあったけども、その気持ちが、まるで面の皮一枚のところで堰き止まっているかのような。
ましてや今度は身内だというのに――これってどうなの?
なんだか自分が人の死というものに対して鈍化しているようで、すごく嫌悪感を覚える。



ただそれでも、悲しいとかそうでないとかそんな思春期みたいな自問は捨て置いて、とりあえずは会いに行こう。
じいちゃんは今はまだ自宅にいるらしいけど、じきに入院することになるそうだ。
俺が向こうへ戻る頃だったら(余命から逆算などしたくないが)まだまだ会える。
たとえば自分が死ぬとき、俺ならきっと家族に見守られたいし、それならきっとじいちゃんだってそう思う。
何より、俺がそうしてやりたい。
その気持ちはきっと正しいはず。