YOU CAN (NOT) REDO.

……そろそろ自分の中での消化が落ち着いてきたんで、文字に起こして鎮静化してみよう。
エヴァの話ね、Qの話。
ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Qについて書いてみる。
     
……後で書くけど、消化が落ち着くまではほんと吐きそうでした。
序破で描かれたエンターテインメントを『エヴァ』と認めたいけど認めたくない気持ちが、Qに触れて破裂した感じ。
観終えた直後の感想は、一言で言い表せなくて、まさしく“きもちわるい”。
そんなわけで。
スタート。



 【冒頭】
先日の金ローで先行放送された6分半、の完成型。
やっぱテレビで観るのとはスケールが違う。
初号機ボックスに強行接触する弐号機の重量感たるや……この金属感が今のアニメに欲しいもののひとつだよね。
ところでこの冒頭、TV版でマリの鼻唄をカットした意味はあるんかな?



 【ヴンダー】
回収されて目覚めてみれば――14年後?
格好良く&冷たくなったミサトさん、やたらショートなリツコさん、若干薄くなった日向マコトetc.
ネルフ改めヴィレに移ったメンバーを前に、シンジの混乱は増すばかり。
観てるこっちもついていけない超展開。
あ、でも鈴原サクラちゃん@みゆきちは可愛いです。
ヴンダー発進シークエンスあたりまでは、意味不明だけど興奮しちゃって、ドキドキしっぱなし。
まさかの戦艦まるごとLCLガスで満たしてエントリーするとか……。
強引にコアを引っぱり出した上、振り回してビームで殲滅という流れはなんとも言えなかったけど。
そしてアスカ!
プラグスーツにジャージ!
でも、彼女もシンジには冷たくて……まるでEOEの精神世界で責め立てられてるような環境。
罪の印たる首輪と、救いの証拠たるSDATだけを手に、自らネルフへ。



 【ネルフ
ズタボロになり、青空すら仰ぎ見ることができるようになったネルフ本部。
露呈しているのは黒き月の表面?
しかし、変ってしまった“何もかも”は、物質的な物事だけでなく。
父親はともかく、死に物狂いで助けたはずの綾波までもが、冷たい。
世界は変わってしまった。
なぜ?
そんなとき、渚カヲルとの接触だけが、唯一の希望として仄かな光を与えてくれる。
うあー、ピアノ! 詐欺ピアノ!
あの予告はまるっきり嘘というわけでもなく、ここで、ここで!
でも、カヲルの接触は、TV版ほどホモホモしく感じなかった。
ミサトさんやアスカ、綾波、父親――近しい人々にことごとく拒絶された孤独を、本当に癒してくれる存在?
そりゃ縋っちゃうよ。



 【ターミナルドグマ】
シンジ&カヲルのダブルエントリーで、エヴァ第13号機を操縦し、いざリリスの許へ。
実に“瞬間、心、重ねて”。
このときシンジは、カヲルの示した唯一の希望に縋るしかなかったわけよな?
槍を手に入れれば世界を元に戻せる。
それ以外にないし、現状のままだと微塵も救いがないんだから。
序破で、ヤシマ作戦や第10使徒戦で、自ら命を振り絞って奮起し、自らの意志で大切な人を救った。
そう、母親に頼って、敵を喰い散らかしてもらってなどいない。
自分の手で進んだはず。
それが、いざ目覚めてみれば、全て裏目に出ているどころか、逆に世界の敵にまでされていた絶望たるや。
だからやり直したい。
そしてやり直す術がある。
だから、必死で、エヴァの制御を奪い、カヲルの制止も振り切り、2本の槍を抜いたのだ。
今度こそ真の救いあれと。



 【インパクト】
でも違った。
誰の策謀かは知らないけど、カヲルの不安は的中し、その誰かさんの思惑どおりに災厄は起こる。
世界なんてどうだっていい、綾波だけは救う――そう願って、本当に世界を滅ぼしてしまった。
今度こそ全てをやり直す、皆を元通りにする――そう願って、またも世界を滅ぼしそうになる。
挙げ句、その代償として、通じ合えた友人が死んだ。
殺してしまった。


――気が付けばエントリープラグだけが放り出され、目の前には例の如く仁王立ちするアスカの姿。
「私のことは助けてくれないのね」
ゾクッとした。
いつの話? さっきの? それとも、
「L結界濃度が濃すぎてリリンは近付けない」
え、ちょっと待って、じゃあアスカも人間じゃないのか?
そんなこと関係ねぇよってくらいに凛々しい立ち姿。干乾びたシンジの手を取る。歩き出す。
なんて格好良い。
さすが俺の嫁
そして――先導はアスカ、引きずられるシンジ、数歩遅れてついてくる綾波――この構図。
この構図が『Q』で一番グッときたシーン。
果たして歩む先に希望はあるの?
で、つづく。



 【おわりに】
こうして劇場版としてまとめ見ると、TV版よりもはるかに残酷な追い詰め方だなぁと。
中盤までで持ち上げ、終盤手前で底の底まで落とし込む。
そう考えると今シリーズは、やっぱ旧シリーズをなぞったレール上での再構成(リビルド)なんよね。
旧劇場版では、積もりに積もったシンジの絶望を呑み、終末の儀式が進んだわけで。
次作――『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』は、果たしてどんな終わりを見せてくれるんだろう。


正直、『破』は受け入れにくかった。
でも、べつに『エヴァ』から逸脱したわけでもなかった。
あれはTV版で言う中盤――持ち上げの物語だから。
シンジが他人に触れ、“これも悪くないな”と誤信させるための山場だから。
そして俺も誤信した。
独りなんかじゃないよ、前へ進むことができるよって。
だから今回の『Q』も、きっとやり直すことができるよと――誤った。
(not)の存在意義や、それを巡ってループ云々と叫ばれてるけど、真実はもっと遠いんじゃないかとも思うのな。


考察をするのは楽しい。
EOEの頃はネットなんてなかったから、謎本を読みはしたけど、それでも理解できなかった。
劇場へ何回も足を運び、そのたびに消化できない苦しみを味わい、吐き気を覚えた。
でも、明確な答えなんて得られずとも、1シーン1シーンを咀嚼することが楽しかった。
そんな感想を今回――きもちわるいくらいに反芻した。


庵野のオナニーと言えば簡単。
でも、彼奴の趣味嗜好に踊らされ、喉笛を舐められ抉られる、その感触が『エヴァ』だった気がする。
ゴールデンタイムの煌びやかな照明下に掲げられるものなんて、望んじゃいない。
やれるもんならEOEを最初から最後までノーカットで放送してみろ。
そんな戯言をいつまで経っても嘯いている、これが俺に、俺たちに科せられた呪い、エヴァの呪縛。
十五年を経ても大人になれないまま足掻く、我々の宿命。



つまりそんな感触でした。
たぶん次回作『シン』を観たところで終わりなんてない、という確信を得た。
エヴァって、そういう存在。
そう垂れ流す俺もきもちわるい。